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心に降る雨
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人生の想い

2018/04/20 00:01
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レンタルビデオ店ツタヤで「ついこの前までそこの予告テレビで上映していたのだが(祈りの幕が下りる時)はレンタルになるのはいつごろになるのだろうかと、女子店員に尋ねた。
彼女は今一寸解らないのでネットで調べてあげましょうと言って調べてくれたのだが何の情報も載ってないのでまだ当分先でしょうと、いう事だった。
仕方なく私は家の本棚の単行本から先に読むことにした。
物語は一人の女性の人生が描かれていた。
私は思う、人は人生の幕を下ろす時どう思うのだろうか?
つらく面白い人生だったのか、あるいは楽でその他大勢のつまらない人生だったのか?
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疑問

2018/04/13 00:01
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疑問
天気予報確認のため一定時間になるとテレビのスイッチを入れる。
ニュースで毎日が始まる。
連日日本国総理大臣が話題となり登場している、内容はあまり関心が無いので詳しくは知らないし、しろうとはおもはない。
しかしあれだけよろんで騒がれてもいまだ日本の代表として堂々としている 。
官僚となると国民ではどうなるものではない、しかし政治家かとなると理論的にはそうはいかない。
連日の結果を考えると、政治家とは国民との信頼性においてなりたつという概念がまるで見当違いという事になる。
わたしはモデル、テレビタレント、芸能人などが政治家としては国民に好まれるのだろうと今までおもっていた、しかし今の総理大臣のようなケースもあるという事を知った。
今の総理大臣いくら騒がれてもまるで困っているようには見えず堂々と構えている、立派としか言いようがない。
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桜真っ最中

2018/04/02 00:24
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今は桜が真っ盛り、どうやら雨の時期がずれたおかげで桜の満開が長いようだ、どうも桜には風よりも雨のほうがまずいようだ。
連日花見日和がつずいて一面真っ白、花には嵐というように風はけっこうあるので、満開の桜と同時に桜吹雪も楽しみながら花見が楽しめているようだ。
話は変わるのだが、ふと病院の待合室のテレビで見た文庫本の週間ランキング。
一位は東野圭吾の「ラプナスの魔女」、以前偶然見た時もそうだった。
ふと首をかしげる、この本は単行本がうちの本棚の飾りになっている。
正直東野作品の中ではあまり話題になっていなかったはずだった、なぜいまさら。
不思議に思いながらツタヤの書物コーナーをぶらついて解った。
映画化が決まり、広瀬すずという人気女優が主演しているせいだろうと思った。
ところが周りを見ると東野作品が七冊ほどほとんど同時に映画化がきまっている。
全部うちの本棚の飾りになっているが内容は大まかには解るがこまかにはほとんど覚えていない。「ナミヤ雑貨店の奇蹟」は早速レンタルビデオをかりて見た。
やはり感動し家の本も読みなおした。
「祈りの幕が下りる時」も細かには忘れたが読んだ後にしんみりと感動したのは覚えている、加賀恭一郎シリーズの中では一番気に入ったのは覚えている。
勿論単行本がうちにあるのだがレンタルビデオがまだ出ていないのでレンタルが始まるのを待って、いったんビデオを見てから本を読みなおそうと思っている。
今はうちの「ラプナスの魔女」の単行本を一生懸命読みなおしている。
しかし同時期につずけて同じ作家の本が七冊も映画化されるとはすごいと思った。
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選択

2018/03/08 00:46
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選ぶ道。
最近テレビの報道番組である内容が再三よく耳にする、柔道につずいてレスリングにおいての師弟関係の問題である。
レスリングと言えば勝負事である、勝たなければ何の意味がない。
負けることに意味などない、勉強になった負け方などあり得ない。
競技者はより強くなる道があるなら迷わず選ぶだろう。
しかし角度を変えれば「恩義」という言葉がある。
自分を育ててくれた恩師に対する恩義,義理を返す。
強さを求め不本意の恩師のもとを離れなければ三連覇は出来なかったのだろうか。
最近、政財界を扱う報道番組などでよく扱われていた「ソンタク」という言葉。
当然のごとくコーチ、練習所はなくなるだろう。
難しい問題で、これでなくてはというようなな答えはないであろう。
しかし私は思う、五連覇などあきらめれば練習所などお金を出せば全国にスポーツジムがいくらでもある、好きなレスリングがいくらでも出来る。
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守護天使

2017/07/22 01:03
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別に読みたい本も無く何んとなくツタヤの雑誌コーナーをぶらぶら歩いていた。
ふと百田尚樹のボックスが目についた。
以前劇場映画を見て拍子抜けしたがふと見るとなぜか違和感を感じた。
かなりの厚みのある文庫本が上巻下巻に分かれて二冊ほど並んでいる。
簡単に考えてもわずか一時間半程度で表現できたとは思えない。
ちょっと読んでみようかなと好奇心が起きた。
読んでいくうち思った、『聞くと見るでは大違い』という諺がある。
もともと無理があるので映画に期待するわけではないのだが、書物の中で胸が熱くなりそうな感動シーンが映画の中ではほとんどガすべりおちているような気がした(あくまで私はであるが)。もし自分が監督であったら二人の主人公の友情の原点である子供時代の交わりを必ず表現する、ほかにもマネージャ少女の死を母親が主人公に語る内容など、これは主人公の堕落からのの立ちなおりの原点となる。私はこの二つを柱として描きたい。
まあ受け取り方は人それぞれ自由だから仕方がないか? 
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再生

2016/03/11 01:25
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自衛隊潜水艦基地の道場での自衛隊員相手の日々の練習。
校内での学生相手ではまるで子供相手のように感じてしまう。
同級生に親近感を持たすためにはどうしても力のセーブが必要となる。
しかしこれが意外と難しい、無意識に身体が反応する場わいがある。
これがまずい。
勿論私にもストレスがたまる。
そこで同じ中学出身の不良グループを陰へ呼んで椅子に敷くための座布団を拳に巻きつけボクシングのスパーリング相手をさせる。
同じ学校出身の不良は私にあまり関わりたくないので言いなりになる。
ところがあまりコロコロ私に殴られるので見ているほかの仲間は不思議がる。
中にはどうしてやなどと尋ねる者もいる。
そんな事を言うのならお前が代わりにやってみろと言われ、それならという者もいない。
ストレスが発散できると又おとなしくしている、同じパターンを繰り返していた。

虚しさや
流れた時の
切なさに
  落とす涙の
  人生行路

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積もるストレスの解放

2016/02/23 02:01
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ワンパターン人間の私は相変わらず調子に乗りワンパターンのごとく同じパターンを繰り返していた。
ある時、胸を張って持ちこんだ古本屋の店主がいきなり言った、「あんたこれは学校の本ではないか、見てみなさい」。
いきなり開かれた書物を見て驚きビックリうろたえて声も出ない。
そこには学校印がべったりと押されている。
「学校には連絡しないからわからないように返しておきなさい」。
ありがたい言葉に喜び勇んで飛んで帰る。
あきらめの良さは私の特色、身の危険を感じる嗅覚は人一倍発達している私は早速部活はやめ以後いっさい近ずかない。
以後当分おとなしくしていたがあるていど期間がたつともともとがスリルが好きな性分の私はストレスが積りどうももやもやする。
落ち着いた言動をとるためには何か対策を取らねばと考えだす。
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部活の表と裏

2016/01/26 00:43
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新しく入学した高校で出来た一人の友人。
ある日私に外国映画によく見るようなボストンケースに入ったアルトサックスをくれた。
驚いた私は訳を尋ねた、すると彼が語った事によればクラブ活動で音楽部に入部したという。
後は容易に想像がつく、彼はほかにもトランペットを数台持っていた。
オタマジャクシの全く読めない私が音楽部というわけにもいかない、そこで私は早速図書部ににゅうぶした。
授業が終わり放課後になると教科書やノートを机に移し鞄を空っぽにして図書室に出かけてゆく。
そして役に立ちそうな参考書を選んでは空っぽのかばんに入れては家に持ち帰る。
家に持ち帰った参考書とノートを机に広げ義理の母の手前勉強している格好をしながら安全剃刀の刃を指ではさみ書物に押してある学校印を削ってゆく。
そして出来上がりの書物は片っ端から町の商店街の古本屋に持ち込んだ。
しかしあんまり簡単に物事が進むとつい調子に乗ってしまい、とんでもない失敗を招く。
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溶けない氷

2016/01/05 00:49
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溶けない氷の心
とうとう手に入れた。
東野圭吾がこれこそが白夜行の世界と絶賛したという韓国版DVD「白夜行」白い闇の中を歩く。
と言ってもレンタル、行きつけのツタヤ店の姉妹店に在った。
お取り置きを頼みわくわくして早速取りに行った。
家の本棚には単行本、文庫本が飾ってある。
テレビ版ディスク六枚、劇場版一枚、それにやっと視聴した韓国版。
最も原作に忠実に描かれていた。
稀代の悪女、人を操る天賦の才、そして氷の心。
感動を与えたした二つの場面。
死体の胸に深ぶかか突き刺さったきり絵ばさみ、そしてラストシーン義理の娘を連れてエスカレータを登る白い影、一度も後ろを振り向かなかった。
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猛犬の脅威

2015/12/30 00:26
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ある高校生が作り出したフィクションの世界。
不本意ながら入学した高校、そこで出来た一人の友人。
彼の母は商店街の一角でバーを経営していた。
私はあいかわらず義理の母が入り浸っている義祖母の家でこき使われていた。
そこにはお中元お歳暮が家の押し入れに入りきらず裏庭の倉庫に山積みされていた。
お歳暮やお中元と言えばほぼビールのケースか洋酒の詰め合わせである。
あっというまに友人の母と半額で売買契約が決まった。
しかし私が首をかしげたのは酒を売る商売をしているので酒は簡単に売れる事は解っていた、しかしママは味の素、かまぼこ、クッキー、チョコレートあらゆるものを引き取ってくれるのである。
今考えれば当たり前ではあるが当時酒の飲めなかった私には不思議ではあったがあまり深く考えこともなかった。
裏門を出ると空き地になっておりそこから段々畑や竹林の入り口をを通って裏山に上ってゆく、全部自分の土地でおまけに三匹の秋田犬が放し飼いでうろうろしているので他人の入ってくる心配はまるで無い。
私は裏門から出てせっせと品物を裏山に隠して行った。
そして夜になると友人と二人で市街電車に乗って山に保管している品物を運ぼうと意気揚々と出かけて行った。
ところが電車を降りて驚きビックリ。
山のてっぺんから三匹の犬が猛烈に吠える。
二人は駅で棒立ち、町に一歩も入れない。
二人の意見は今日は断念明日昼に決行しょうと一致、さっさとその日はあきらめて帰った。
早速あくる日の昼に出かけて私が表から入る、そして友人を裏山の反対の出口で待たす、裏山の反対の出口から降りると隣町の電停に降りる道になる、実に簡単に運び出しさっさとお金に変えてしまった。 
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陰の商い

2015/12/03 01:11
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陰の商い。
高校生活に入っても私の日常生活は相変わらずだった。
義母は相変わらず実家に入り浸り、連れ子の私も相変わらずこき使われ嫌になる。
しかし嫌な事ばかりでもなかった。
それは庭から眺める景色が最高であった事だった。
呉という町は軍港で有名であったように盆地であるので四方山で囲まれた海の町である。
庭越しの真下が断崖絶ぴきのましたに隣の家がある事になる故廊下の真横は四方八方山となりそして真正面は瀬戸内海の海と島じまとなる。
これは生涯の美しい想いでとなった。
祖母は古風な人でよく口癖のように己に勝つという事が大事なのだと言っていた、別に可愛がってもらったわけではなかったがある程度尊敬はしていた。
高校になって新しく出来た一人の友によって、目の前にお金が無造作に転がっているという事に気がついた。若い頃からよく周りから転んでも砂をつかんで置きあがってくると言われたものだが、どうもこの頃から種が芽を出しかけていたのかもしれない。
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暗黒の闇

2015/11/22 01:02
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私は高校に入り新しく一人の友が出来た、彼を語るにどうしても当時の親類付合いにふれなくてはならない。
子供時代義理の祖母、義理の叔父、叔母がいた (居たという過去形というべきか)。
叔父は私の義母の弟になる、そして祖母と一緒に住んでいた。
そしての親族の中心で叔父がすべての軸になっていた。
なにしろクリスマスの贈り物、正月のお年玉など叔父からもらっていたのだから。
父などからもらった事がない、何しろ父など叔父に使われていたのだから。
当然母などは祖母のところに入り浸り故、私も連れてゆかれる。
幼い子供時代から半分は祖母の家にいたような物。
祖母の家ときたら純和風の家で廊下など五部屋にまたがる長さ。
当時廊下のふき掃除と言えばバケツに水を入れ雑巾で拭いていた。
よくお寺でお坊さんがテレビ放映しているが当時はそれが普通であった。
それが済めば今度は庭掃除である、これがまた重労働なにしろ庭と言っても家の周りぐるりである。
その庭には子供なら乗れるのではないかというような三匹の秋田犬が放し飼いでうろうろしている。
秋田犬というのは吠えずにいきなりかみつく、何しろ闘犬に使われるぐらいだからとても他人が門から中に入ることなど出来ない。
故郵便局員は門の呼び鈴を押す、お中元お歳暮の季節などベルがいつも鳴り響く、何しろ家の押し入れに入りきれず裏庭にある物置で保管していたぐらいだから、すると印鑑を持って廊下から飛び出し庭を突っ切り荷物を持ちかえるのはほとんど私がやらされる。
夕方になれば廊下に重たい雨戸をはめてゆかなければならない、これが幼い子供にとってはまるで土方仕事である。
祖母は私を直接いじめるようなことはなかったがかわいがられた記憶などもない、叔父に居たっってはほとんど同じ家に居ながら顔を見た事は私が家を出るまでに五、六回ほどしかない。
休日は接待ゴルフ、夜は接待で帰りは深夜、通勤は呉から広島まで外車での送り迎え、家にはめったに居ない。
見たのは座敷に座り日本刀を磨いているか裏山に向かってゴルフバッティングをしているのを遠くから眺めていた記憶ぐらいしかない、山と言っても自分の持ち山であり三匹の犬がうるろうろしているのであるから他人のけがの心配などまるで無い。
(私などもそこらの丸太と小石を拾い山に向かってバッティング練習をして遊んでいた)。
直接私に向かう声を聞いたのはたった二回だった。その印象が強烈でいまだに抜けきらない。
その時叔母が私を指さして叔父に言った「この子は喧嘩がクラスで一番強いんだと」。
私は腹の中でやれやれまた説教が始まるのかと思ってうんざりした。
その時叔父の言葉にびっくりその場にいた誰一人言葉も出なかった。
叔父は間髪をいれず言った「いいよ勉強で一番になれんのなら喧嘩でなればいい、何でも一番が一番いいんだ」。
愛情もないのに面倒くさいからそれで打ち切ったのか腹の中は解らないがその場はそれでシーンとなって終わった。
二回目の記憶は同じ応接間でテレビを見ている時だった、やはり言ったのは叔母だった。
やはり私の方を向いて言った「この子は大人になれば赤の他人だわね」。
また場はしーんとなった。
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論理と感情の境界

2015/10/23 01:33
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論理と感情の境界
パトカーに追われるバイクに乗った少年がトラックに衝突して死んだ、ある大学病院の手術台で一人の患者が死んだ、某有名自動車メーカーのコンピューター誤作動で車に欠陥が出て被害者が出た(もちろん被害者たちの補償は十分にされた)。
世間にはよくあるありふれた三つの事実が二つの物語を生みだした。
ある作家の創りだした世界である。
この二つの物語のラスト、涙と感動を与えた(他の人は知らないけど)。
「穣治君、そんなことをしてはだめだよ」
患者の老婆の命を救いたいと涙で恋人の犯人に呼びかけた若い看護師。
女医の心の中の暗雲を行動で吹き去ろうとしたある医師。
「私が救うから、二人目の父親は絶対に死なせないから」
ラストの言葉である。
人は神になれるのだろうか?
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心理の脅威

2015/10/16 00:21
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私が推理小説にのめりこんだ原因の本だった。
小学校の図書室で読んだ一冊の探偵小説。
「心理試験」江戸川乱歩の初期の頃の本だった。
ひとりの才能豊かな貧困大学生がいた。
彼の友人の下宿先の老婆がへそくりのお金を植木鉢の中で蓄えた。
彼は考えた、お老い先の短い老人がお金を所持するのは無駄な事、それより才能の豊かな若者である自分が活用する方が有意義と考えた。
結果老婆は殺され、お金は消えた。
そして下宿していた友人と彼が逮捕された。
すべては彼のシュミレーションの範囲内であった。
担当検事は有名な心理学の権威、当然嘘発見器にかけられるのは簡単に予想できる。
彼は友人の性格と自分の性格、そして一般的な人の性格を分析した。
嘘発見器というのはある質問をして当事者が答えるまでの時間を計り答えを導き出すものだった。
そこで一般の人の心理が基本のラインとなる、応える時間の平均値、そして応える言葉が問題となる。
事件に関係ないとなると一般的なあまり事件に関連しないような答えが出る、例えば質問がナイフならりんごとううような答え植木鉢という質問なら松とか、血という質問にはけがと答える。
ところがこれを意識的にこたえようとすると一般人より時間がかかってしまう。
これが嘘発見器のシステムである。
彼の友人は気が弱い、おそらく関係ないような答えを考えようとするだろうことは容易に推測できた。
そこで彼は考えた、結果ナイフに血、植木鉢に隠し金、血には強盗とか速攻で答えた。
そこで犯人としては考えられないケースと判断され、友人が逮捕された
これが江戸川乱歩の初期の頃の作品「心理試験」である。
話は変わるが東野圭吾による「ラプナスの魔女」、親子による殺し合いを描いた作品。
脳の開き領域を使っての素早い状況判断、そこから因果関係の法則に基ずいて未来起こりえる結果の予想。
すべてが論理と結果の融合、。人生は常に前えもって知っておくという事が総べてと私は思う。
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影夢

2015/10/01 00:12
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否応なしに始まった高校生活、入学試験の上から五十人ほどがひとクラスに集められていた。
私にも一人の友人が出来た。
彼とは出身中学が違ったのでそれまでの事は解らない、しかしなぜか気があった。
類は類を呼ぶというかその彼がまた普通ではなかった。
私にしても中学卒業時決めた方向転換の必要さのため羊の皮をかぶることにした高校生活、外観的には二人ともおとなしくまじめな生徒に見えた。
しかし本質的にはそんな単純なものではなかった。
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偶然見た週間ランキング

2015/09/08 00:05
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今日も買ってしまった。
こんなはずではなかった。
思えば病院の待合室で偶然目に入ったテレビの単行本売れ筋週間ランキング。
ほんの二三ヶ月前の事だった、まだ真夏の太陽のギンギン照りつけているような時期の頃だった。
自宅の本棚に十二冊の東野圭吾作品が増えた。
今日出かける前まで思っていたというか、信じていた。
十二冊目で初めて買わなくて済みそうだ。
なにしろ昨日までにほとんだ読んでしまい残りも十五ページ、今度こそ気が変わるなど九十パーセントあり得ない、初めて読み得になる、しめ〆と腹の中で喜んだ。
ところがたった十五ページでころっと気が変わった。
本をつかんでカウンターに一直線。
これでは一番最初に読んだラプナスの魔女、天空の蜂、禁断の魔女などののほうがすかのように感じる。
もともとは加賀恭介シリーズにあまり関心がなかった。
読んでみるとなぜか不思議な魅力を感じた。
何がと言えばはっきりわからないが読み終わるとしんみりと余韻を残す(人は知らないが)。
マスカレードホテル、マスカレードイブ、悪意などもロマンチックなムードがあった。
中でも苦痛を感じたのは天空の蜂だった。
映画ならみんな面白く見れるだろうと思う、しかし書物となると話は違ってくる。
まともに読み切れるものなどはたして何人ぐらいいるのだろうか?
なにしろテレビ版などに変えると三ページぐらいの内容が延々四十ページほどそれが全部新型原子力機器の構造、理論説明。
そして新型大型ヘリコプターの構造、理論説明がつずく。
あれは読むのにつらかったと思う懐かしさ。
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仮面

2015/07/30 00:35
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ヒーロー、ヒローイン別の言葉でいうところの物語の主人公。
人生はすべて演技、人は舞台の上の役者、役に応じて仮面を付ける。
私は思うその付けた仮面にはその人の人生における思いが込められている。
マスカレイドホテル東野圭吾の創り上げた物語。
ヒーローは人の付けた仮面を剥ぎ取る事が職務。
ヒ―ロインは人の付けた仮面を守るのが職務。
そんな二人がコンビを組むことになった。
ここがらはリアルの世界、人はつけた仮面をはぎ取られるともろく崩れる。
そしてはぎ取った者を心の底から憎む
それが人の本来の姿。
周りを見渡すだけでそんな事例はそこらじゅうに転がっている。
続編マスカレイドイブ二人がコンビを組むことになってゆく過程。
読み終わり、ふと見るとマスカレイドホテルへのプロローグが掲載されていた。
わずか数ページではあるがそれを読むと二人がコンビを組み説かなければならなくなった謎の原因がすべて描かれていた、もし読んでいたら最後の数ぺージが容易に想像さてていただろう、おそらく?
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一時間のミラクルゾーン

2015/07/28 00:05
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ツタヤ通いが始まり、今日も読んでいる小説が残り三十ページほどになってしまった。
明日には終わってしまうだろう。
それにしても五冊の小説をタダ読みしてしまった、すべてが東野圭吾という作家の作品だった。
中でも内容はまったく面白くなく、読むには最も負担率が高かったのが六百ページにも及ぶ文庫本「天空の蜂」だった。
唯あの大作家の未来に対する予知能力には驚きビックリだった。
おかげでわずかの間に五冊の本を買う羽目となってしまった。
中身を読んで買うのだが満足はしている。
父と子の心のひずみと葛藤による戦いを描いたラプナスの魔女、未来に対する予知能力の正確さに驚いた天空の蜂、そしてガリレオと呼ばれる天才物理学者の師弟愛を描いた禁断の魔術、その隣に並んでいたナミヤ雑貨堂の軌跡(これは買ったけどまだ一ページも読んでいない)、そして新しく登場のヒーロー、ヒ―ロインのマスカレイドホテル。
今は自宅の本棚の飾りになってる「マスカレイドホテル」、その続編「マスカレイドイブ」を読書中であるが残りもあとわずか。
読んでいると思った、どうもこれは「マスカレイドホテル」とのいきさつを考えると短編集のようだ。
長編の好きな私にとってそれほどの魅力に乏しい。
これなら買わなくて済む、すでに読んでしまったに近い状態にある。
読み得になると腹でこすい欲を起こしながら喜んでいた。
ところが残り三十ページである、今まで短編集と思っていた内容が一つの物語に成りヒ―ロ、ヒローインにつながってしまった。
正直今、月末で経済的に苦しい、しかし凝り性の私は読み終わり、これも買ってしまうだろう。
普通与える影響という物は外から内に向かって吸収されてゆく、しかし東野作品はちょっと違った感触を受ける(私はであるが)身体の中から外に向かい身体の内壁にぶつかりそのまま包まれてしまうような錯覚を起こす。
毎日読みつずける時間は一時間ちょっと、百ページをめどに本を閉じ帰宅する。
それ以上は寒さに寄って無理になる、トイレに立つときなど半そでシャツから出ている腕などは鳥肌によってごわごわである。
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狂った計算

2015/07/14 00:08
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市内一の優秀高校の高校生のつもりが気がつけば市内一のぼんくら高校の生徒。
なぜこんな事になったのか、最初は恥ずかしくて表にも出られなかった。
引きこもりというわけにもゆかず仕方ないので同級生と顔を合わせずに済むように朝早く通学した。
それはそれで恥ずかしささえ我慢すれば、結構楽で面白い面もあったがそれは後になって思えるようになったが当時は恥ずかしさしかなった。
当時はすべてが一夜ずけの丸暗記型の私は長い目で見れば実力が付いてなかったのだろうと思いこんだ。
しかし考えてみれば一年生の時は見ず知らずなのにおまえは悪い奴だと言われ二年生の時は遠くの校舎の先生なのにいきなり会議室に連れ込まれ一時間余り怒付きまわされ、三年になれば担任教師である。受験には内申書という物がある、内容は想像がつく。
大学入試などは推薦入学があるぐらいである
私はこれを最初に計算に入れず特別受験勉強などせず大見えを切っていたので恥ずかしさも倍増だった。
結果論優秀な者の中で脂汗を流しながら頑張るのを考えれば、楽でいい(後になって開き直れば気がついた事だが)。
結局中学三年間よりも異様な人生を歩くこととなった。
中学卒業時考えた、今までは所詮義務教育、が今からはそうはいかない。
何かあれば即停学、退学など罰則がまっている、このままでは一年間も持たない故方向転換が必要と考えた
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未来への予告

2015/07/08 23:58
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ラプナスの魔女を読むためツタヤ通いを始めたが読み終わり、さっそく新刊のビニールで覆われた新刊を買って帰り本棚の飾りにした。
これでやめたかと言うとあくる日から今度は文庫本の「天空の蜂」をよむため、あいかわらずつたやへかよった。
相変わらずツタヤの本棚から喫茶店に持ち込み百ページほど読んでは帰るというワンパターンを繰り返していた。
しかしこれが思ったよりきつい、単行本の四百ページと文庫本の六百ページでは負担率がまるで違う。
そしてまるで面白くない、単なるテレビの二時間もののサスペンスドラマを見ているのとさほど変わらない
そして書かれている事は原子力発電機器の内容説明い、大型ヘリコプターの機器説明が長々と、私は推理小説を期待して読んでいるのでそんなページの内容はさっぱりであるし、興味もない。
それでも最後には何かがあるはずだと読みつずけた、半分と言うか三分の二ほどは意地であった。
いったん決めた事を途中で投げ出すことに抵抗があった。
しかし読み進めるうち信じられない思いが頭をかすめた。
読んでいるうちはなかなか気がつかなかった、犯人は最初からわかっている、そして警察も操作手順通り犯人を特定しながら捜査を進めてゆく。
何の変哲もないテレビドラマである。
しかしどう考えても二十年前には福島に地震は起きていない、しかも原発を止めれば電気会社は電気を送らない、例の節電お願いである。
そうなると国民は必ず不満を起こす、人間の体は一度覚えたぜいたくを遮断をすることに不満を表面に必ず出す。
書物に書かれている事が現実に起きているのである、少しも狂い無く。
圧巻は最後の一、二、ページだった、毎度のことだが。
沈黙する群衆、人は権力には弱い圧倒的な権力に押しつけられると沈黙してしまう。
其の大人を見て子供は育つ、そして沈黙する群衆となる。
原発は微笑むと同時にいつ牙をむくか解らない。
子供は蜂に刺されてはじめてその怖さを知るとあった。
結果ヘリコプターは少量の爆弾と共に海に落ちた。
最後主人公とおぼしき人物が呟いた「原発の上に落ちればよかった」。
後ろの警察官にはよく聞き取れなかった。
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重なる運命

2015/06/18 01:34
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あわただしく過ぎ去った中学の二年間、いよいよ受験の準備段階に入る三年生の新学期を迎えた。
新しく編成されたクラス編成、そして担任教師。
ところが運の悪さは将棋倒しのごとく重なるもので担任教師を見てびっくり、なんと二年生の時私をいきなり会議室に連れ込み一時間余り怒付ききまわした教師。
しかし私はその時は(それから一年後に迎える不幸)はあまり深くは考えていなかった。
今考えると当たり前のことではあるが。
ある日義母が父にこぼしている声が耳に入った。
先生があまりにも悪いのだが家ではどんな本を読んでいるのかと尋ねたという。
義母は「私は家では勉強していいますよ」と言ったのだが、と首をかしげながら父にいっている。
しかしそんな事はまだ序の口だった。
現在の状況をいかに冷静かつす早く正確に判断しながら未来を予想うするという事が私の人生哲学。
故、状況判断データとしては現在の試験順位の数字データーと、受験高校の中学からの平均合格ラインとなる。
状況判断データーとしてはこれで十分、あとは取り立てて受験勉強などしなくても後はエレベーターに乗っていればよいと思っていた。
最近思う、最初にたてたこの状況判断データーに間違いがあった。
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想像を絶する世界

2015/06/14 00:00
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ツタヤ通いが始まり数日過ぎた。
今日も出かけてゆく、本棚から書物をとり向かいの喫茶店に持ち込む。
コーヒーを飲みながらゆっくりと読書。
残りもはや七十ページ程となってしまった。
このまま一気に読み切ってしまいたい衝動を抑え、楽しみは明日に取っておこうと本を閉じる。
本棚に本を戻し店を出る。
それにしても最初の予想(悪い)をはるかに超えたすさまじさ。
読み始めに思ったオカルトぽさ、退屈な事実の羅列、らしくないという想い。
作家の知名度で売れたのだろうかと思いながら、落胆混じりに読み進めてゆく。
それらが終ばんになって見事に一点(陰惨な世界)に向かって集中してゆく驚き。
読み終わりいつも興味がわく東野圭吾という大作家の人物像。
東野作品にはよく狂気の学者がキーパーソンとなっている、作者が理系出身のせいか。
しかし読み進むにつれて、理系、文系の領域を超えたすさまじい世界に進んでゆく。
昔添えられていた同僚作家の嫉妬を感じたという心理描写。
私がまだ若く、ある地方都市に住んでいた時代、金融関連の世界の付き合いで生きていた頃、金融会社を経営していた人物がいた、彼は裏の世界でもかなり顔がきいていた。
彼は口癖のように「おい利のあるつきあいをしょうで」と言っていた。
ラプナスの魔女、まさに彼の口癖を思い出した。
まさに東野ワールド、想像を絶するような陰惨な世界を創りだす。
明日を楽しみに店を後にした。
読み終わるとビニール張りの新刊を買い自宅の本棚の飾りにしょう。
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金の輝き

2015/06/10 00:30
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地金の底光り
ある日病院の待合室で何気なくテレビに目を移す。
画面は小説の週間ランキングを移していた。
一位は東野圭吾のラプナスの魔女。
早速近所のツタヤに出かけた。
ラプナスの魔女、入り口にひら積みされていたのですぐ解った。
早速手に取る、見ると表紙のカバーにかかる飾り帯に東野圭吾のコメントが載っていた。
これまでの私を壊したらこの作品が出来た。
壊してもらっては困る、私に迷いが起こった。
そこでときどき話をする店員の女の子にストーリーを訊ねてみた。
その女の子も圭吾が好きで私よりよく読んでいたが、新作で解らないのでネットで調べてくれた。
しかしそれでも解らなかった、ストーリーが載っていないのである。
女の子が言ってくれた「そこのソファーや向かいの喫茶店にもっていって読んでいいのですよ」。
あくる日からツタヤ通いが始まった、何となく後ろめたさを感じ四十ページほど読んでは帰っていた。
読んでみると何となくオカルトぽく今までの作風からの程遠さを感じた。
それにこれでは単なる新聞の社会面がばらばらに掲載されているようなもの、らしくないなというような感じがしながら半分ほど読んでしまった。
ところが半分ほど進んだ頃一人の人物の登場によって今までばらばらであったはずの事実が一点に向かって集中してゆく。
ばらばらの事実の羅列がいきなり物語の様相を帯びてきた。
今まであまり作中に登場しなかった主人公たちの重みをずしんと感じ始めた。
これが東野圭吾の世界、ほかの作品に味わえない世界、作風。
メッキも最初は中が真鋳かアルミなのかあるいはゴールドで出来ているのかよみとることは不可能、なぜなら同じ光なのだから。
しかし表面が使いべりしだすと地金が顔を出してくる。
金は金、いや白金は奥からの底光りを発揮してくる。
とにかく凄い、まだ半分しか読んでいないのが残念ではあるが。
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開かずの間(心)

2015/06/02 00:10
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昨夜の深夜報道されていた番組、偶然見てしまった。
さげすみ、ねたみ(ミナが来た、御殿が建つ)。
水俣病患者の立場から報道されていた。
差別の問題を取り上げた先品は数ある、島崎藤村の「破壊」、松本清張の「砂の器」等。
そういう作品は庶民に受ける。
物事は見る立場、角度によっていろいろ変わった形に見える。
しかしその番組は人間の心の中に渦巻いているどす黒い邪悪さ、邪念を表面にだした。
そういう番組のほうが視聴率が上がるのかもしれない。
私はその報道番組に以前堀北真希がドラマの中で呟いていた言葉を聞いた。
所詮世の中は弱肉強食、強くなくては生きてゆけないという事であろう。
弱い者は社会から淘汰される、これは自然界の姿、人間の世界だけが例外ではないのかもしれない。
私は思う、人の心の扉には決して開ける事の出来ない鍵をかけたほうがよい。
うっかり開けると、とたんにそれはパンドラの箱となるだろう。
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落下への約束手形

2015/05/28 00:01
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落下への手形
ある日、町の劇場での映画鑑賞画が学校行事としてあった。
全学年が一つの劇場にそろうが当然んまん中を境に男女の席が分かれる。
女の子が集まっている席に乗りこんで男子間のランキングに上っている女の子の席の手すりに座り込みあとはしたい放題、後ろでグループの一人が見ているとつい調子に乗ってしまう。
そしてあくる日にはグループ内で大騒ぎ、なおさら調子に乗りつい口が滑ってしまう。
「いえばやめてやるのに」などと言ってしまう、所詮はお祭り騒ぎのはずがここまで話が進んでしまうとその女の子の名誉に発展しまう、早速教員室から呼び出しがかかる。
教員室からの呼び出しなど日常茶判事の私は今度はなんのことだろうかと気楽に出かけてゆく。
ところが教員室に入った途端、なんと私を呼びつけた教師の顔を見て驚きビックリ。
校舎も違うし距離も相当離れていたので解らなかったがその女の子の担任教師が一年生の時に「おまえは悪い奴だなー」と言って去って行った見知らぬ教師である。
いきなり教員室でなく会議室に連れ込まれた。
入るなり「おまえ言えばやめてやるのにと言ったそうだな」と言うや否や後は暴力の嵐。
一時間ほどはつずいた、よっぽど腹を立てていたかあるいは私に悪い印象を持っていたのだろう。
会議室なので二人きり止めてくれるものなど誰もいない、しかし一時間ほど時間がたてばさすがに冷静になる、やはり教師の暴力はまずい。
三、四十分はなだめすかす事がつずいた、お互いにこれでけりをつけたいという利害が一致した。
私にしてみれば問題にされるよりは喧嘩してちょっと分が悪かったと思えば済む。
私の仲間にしてもなまじっか成績上位のグループだったのでことが問題になった以上は二度とかかわりたくない、当事者の女の子にしても同じことが言えるそこでみんなの利害が口をつぐむことで一致し、だれ一人二度と騒ぐ者がいなかった。
これで全部済んだと思った、しかし近い未来最悪の事態が大きな口を開けて私を待ち受けていた。
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予兆

2015/05/22 00:05
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新しく始まった中学生活に何となく戸惑いを感じながら過ごした一年間、二年生の新学期の頃には何とか生活環境も落ち着いた様相を帯びてきた。
そうなると派手な動きが始まってくる、男の子が数人集まるとやはり始まるのが女の子の人気ランキング、全学年で四、五人の女の子が話だいにのぼる。
お調子者の私などは後に数人を(これが優秀者のグループだったからなおさら盛り上がって)引き連れてのストーカーまがい。
ストーカーといっても現代のような陰湿なものでなくお祭り騒ぎのようなお遊びのような物、キャキャ言いながら逃げるのを追いかけながら遊んで言うような物、別に個人的な感情などはなかった。
しかし調子に乗ったお祭り騒ぎもあまり調子に乗ってエスカレートしていくととんでもない事に進展してゆく。
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強さの類似

2015/05/07 01:14
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今日田口良一選手の初防衛戦があった。
喜んで早速録画した。
あの井上直哉選手が唯一苦戦した日本タイトルマッチ、彼が後半判定の結果を気にしていたような事などほとんだない。
防衛戦などほとんど問題はないだろうと思っていたが5度のダウンを奪ってのKO勝ち。
考えてみればこの二人の選手、戦闘スタイルと言うかタイプがよく似ている。
普通ボクシングといえばKO勝ちをしたいというかKOシーンにこだわる。
しかしこの二人を見ているとそんなものをまるで感じない、二人の類似点それは乱戦に強い。
とにかく殴って殴って殴りまくる。
倒れるも持ちこたえるも、起き上がれないのも起き上がるも相手の自由。
起きてくればまた打つ、起きてこなければそのまま勝ち。
とにかく殴ればいい、勝ちにつながるといったスタイル。
田口選手のタイトルマッチの時アナウンサーが言っていた、普段周りから強かわいいといわれているというがリングの中ではかわいい顔が消え、鬼の顔しかなかったとさけんでいたが正に今日も再現されていた。
まさに似た者同士かもしれない(よくは解らないが漠然と感じる)。
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憧れ

2015/05/01 00:52
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中学に入学して何となく中途半端に過ごしていた一年間、二年生になった頃には数人の友達らしきものもできてきた。
二年生になっての新しいクラス編成、その中に小学から中学を通して常に一位を通していた少年がいた、彼とは小学校もずっと同じクラスでお互いによく相手の事は知っていた。
彼は誰に対してもやさしかった。
家も近所に住んでいた、近所の人達にも誰に対しても声をかけて挨拶していた、
私たちの子供時代と言えば最近のゲーム時代と違い遊びと言えば相撲とかプロレスリング、屋外でのラケットを使わない簡単なテニスなどであった。
彼はスポーツも強かったので不思議であった。
中でも驚きは中学時代の事だった。
国語の教師は授業の延長で生徒に文学小説をたくさん読めという、例えば自然主義の島崎藤村の破壊、白樺派の志賀尚哉の暗夜行路、武者小路の友情など、例をあげるときりがないが私などは読まなけれはいけないかのような先入観で乱読した。
読んでみたところでさっぱり興味もわかないし感動もしないまま自己満足だけで読みつずけていたが内容はさっぱりである。
中学になった頃同じクラスになった時よく読んでいる本を貸してくれた。
私は教師がよくすすめるような文学小説を貸す、ところが彼が貸してくれる本のほとんどは童話や、昔話などである。
小学校ではあるまいし、教師のすすめるような物とは程遠いい。
超がつくような優秀な同級生が持っているという事はいつも読んでいるのだろうと思い
首をかしげながら私も読みつずけた。
何が書いてあるのかさっぱり分からないままとにかく読んでいた文学小説と違い、考えさせられるものが多いかった。
今思う人生観において人の基本的な筋道と言うか指標となっていたものが多かったがその当時はいつも不思議に思っていた。
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2015/04/22 00:55
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小学生の頃近所の子供を集めて手品と催眠術を教えていたおじさん、中学生になった頃は自宅に大学生のアルバイトを招き今度は英語である。
おじさんは鉄道公安官だった。
私は大学生に英語を習いながら、同時に鉄道公安の道場で合気道を習った。
これは高校時代もつずいたいた。
高校時代の事だった、ある日公安の道場がいきなり閉鎖された。
そのおじさんの紹介で数人の自衛隊幹部の門下生がいたのでそれならうちの道場を使ってほしいということになり、今度は自衛隊潜水艦基地の道場に通うことになった。
子供の吸収能力は早い、結局私はそのおじさんに人生の基本(手品と催眠術による心理学)及び学問、武道を教わった。
今思えば人格の多重性は義理の母、学問、武力はそのおじさんが作り上げたものかもしれない。
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幼き時の想いで

2015/04/11 00:30
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三年間の小学生活活を終えて隣の敷地の中学校に入学して新学期を迎えた。
小学生活にも懐かしいものもあった。
男の子には嫌がられ友達もいなかったが、女の子にはあまり嫌がられなかったしなぜか恐れている者もいなかった。
そんななかひとりいつも気になる子がいた。
気にはなるが話しかけていくのは恥ずかしく出来なかった。
しかしいつも向こうの方から突っかかってきてすぐ喧嘩になるが口げんかではかなわない。
勉強の嫌いであった私は周りの席の子をいじめては授業の邪魔をしていたがなぜかふとそのこに視線がいってしまう。
すると瞬間に目が合ってしまいお互いすぐ視線をそらす。
私は内心好きではあったが相手がどう思っているのかは解らない。
ある日廊下でいきなり飛びかかってきた事があった(理由はまるで覚えていないどうせとりとめのない事だったのだろう)。
運の悪かったのは当時家で飼っていた犬が私の遊び相手だった事だった。
犬と言うのは飼い主に甘えるとジャンプして飛びかかりよけられると着地した瞬間にその場から瞬時にまた飛びかかる。
まさに無意識のうちに同じ光景が起こり、その場に私の姿がなかったため顔から廊下にいきなり突っ込んでしまった。
心配でも顔を一切上げないので様子がまるで解らない、運の悪い事は重なるものでその女の子が二人ずれだったため即刻教師に報告されため私は早速親の呼び出しに家に帰される。
義母は私はもういやだからあんた代わりに行ってくれと言う事で父が代わりに学校に来た。
結局父は私に何も言わなかった。
義母も家では厳しい割には学校での問題はあまり問題にしなかった
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始まりの幕

2015/04/06 07:06
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いよいよ中学生となり新学期が始まった。
小学生のあいまいな表現と違い中学では学位の劣悪さが順位で表わされ通知表として家庭に通知される。
隠ぺい方法はないものかと悩みながら始まった各教科科目。
ほとんどの教科はまあこんなものだろうと予想通り、どうやって隠そうかと頭を悩ます。
ところが新しく始まった英語だけはすらすらと理解できる不思議さにびっくり驚き。
よく考えてみると新学期が始まる前に中学教師に前もって教わっていたのだから当たり前の事だった。
この事実が私をある考え方に導いた。
何の事はない、別に英語に限った事ではない前もって知っておくという事はすべての事に当てはまる(好き、嫌いはあるが)。
どうせクラス五十人ちょっとと言えばすべてに理解さすためには2,6,2の法則があてはまる。
せいぜい教科書の一ページか二ページ程度である、前の日に家で丸暗記して学校に行けばいい、好きな科目に関しては楽勝である。
故、主要五科目の中間試験の結果は極端に良いが総合教科の学期末試験ではどっと順位が下がってしまう、何しろ音楽、体操、美術、技術などの四教科が単位があるかないかで足を引っ張ってしまう。
ワンパタンのように同じパタンを繰り返していた。
ここに学年でも一、二を争う悪ガキが学問もできるという変な人格の人間が出現してしまった。
ある一年生の頃、朝の朝礼で全校生徒が運動場に集まっていた時、後に高校で柔道部員になっていたでぶの同級生をいじめていた私に「おまえは悪い奴だなあ」と言って去った見知らぬ教師。
この教師が後に私の人生に重くかかわってくるとははその時には夢にも思わなかった。
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幻影

2015/03/28 23:51
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間髪をいれず五、六人が私を呼びに来る、例のグループの復終戦である。
グループのボスが私に脅しにかかる、残りは私を取り囲むような態勢である。
しかし脅すが手は出さない。
喧嘩において一番怖いのはやってみなければわからない相手である。
負けると解っている相手は怖くない、勝つと解っている相手もである。
私にしても大人数を相手に乱闘などごめんである。
脅しだけならふんふんと答えておく、そして帰れば早速復終戦である。
また五、六人が呼び出しに来る。
そんな事を繰り返しながら三年間が過ぎてしまった。
その当時私は人に、ゆうう事をきかすのに口はいらない、二三発殴れば済むと思っていたのだから始末が悪い。
中学になった時小学校で卒業まで同じクラスだった部落のグループの人間が言った「わしも人に嫌われているがあんたはわし以上に嫌われているんだから」。
事実だから何も言えない。
しかし 「盗人にも三分の理」と言う、私は弱い者いじめだけはしなかった。
それは今でも私のポリシーとなっている。
小学校をめでたく卒業したと思ったらある日、義母に見知らぬ家に連れられて行った。
新学期に通学する中学校の英語教師の自宅だった。
何の事か解らぬ私はぽかんとしたまま英語を習うこととなった。
私にして見ればいい迷惑だったが母に逆らええない私は仕方なく通った。
他によその小学校を卒業した男の子と女の子がきていた、二人と机を並べ学んだ。
多分成績優秀だったのだろう、そんな中に学年でも一、二を争う悪ガキが加わってスケジュールがうまくいくはずがない、他の二人に迷惑である。
三、四回ほどで断られ、家に帰された。
私にすればしめ〆である。
嫌がらせのつもりだったのか、それとも一応世間的な恰好は付けたと思ったのか、母はなにもいわなかった。
いずれにしても腹は本人にしか解らないがそんな事はどうでもよかった。
ところが新学期が始まり予想さえしなかった驚くべき事が起こった。
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命の選択

2015/03/06 00:28
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今日夜、一般的には驚く報道番組が放映された。
一つの形にはそれを見る角度によりいろいろ変わって見える。
それと同じように人生のあり方にも何が正しく何が間違っていると言えない事も種種ある。
ここに一つの事実がある、その時命は地球の重さより重いと言ってお金で解決した当時の三木武夫総理。
論理を全うし交渉はしない、おかねは一切払はないと言ってその相手国に融資するといった阿部現総理,結果消えた二つの命。
比べるのもおかしいがどちらが正しくどちらが間違っているという事は解らない。
しかし私は思う(一個人の考え方、ある一方向からの見方ではあるが)。
総理と言えば親、国民と言えば子ども。
親が子供の命と論理のどちらかの選択を迫られた時、
はたしてどちらを選ぶのだろうか?
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幼き心理学の芽生え

2015/02/27 00:04
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 泣きながら
  沈む夕日を
   眺めつつ
 帰らぬ夢の
  人生行路

何度見ても凄い。
毎回びっくりさせられるがやはり驚くのは八回戦の二階級制覇のタイトルマッチ。
まるで勝負にならない。
五戦目の東洋太平洋タイトルマッチなど相手はまるでサンドバック状態、レフリーストップである。
百獣の王とよく自分で言っている武井荘と言う人気者がいる。
彼のインタビュウを見てさすがと思い感心した。
彼は直弥の四戦目ではっきり断言していた。
「今戦っても彼は世界チャンピオンになるでしょう、なぜならスピードの処理能力が違いすぎる」と言い切った。
何回も繰り返し戦い方を見た、結果思う打った瞬間の状態、いつも両方のパンチが出ている。
彼の秘密は左フック、バックステップの週間でも左フックが出ている、故相手が追い込むことが出来ないどうしても単発になってしまう。
一発撃てば三発ほど帰ってくるのだからたまらない。
それがすべてカウンターになってしまう。

時が逆に流れる、
三年生の時だった。新しく転校した小学校。
その瞬間クラスで大げんかとなった。
その相手が部落のグループでクラス一の嫌われ者だった(その時私はその現実を知らなかった)。
結果あっという間に勝ってしまったからたまらない、その瞬間からわたしがクラス一の嫌われ者になってしまった(それまでは普通の子供だったのである)。
その時に私が悟った心理学(喧嘩必勝法)。
それは喧嘩において恐怖感を持つことが相手に勝てなくなるという事だった。
なら常に周りの人間に恐怖感を与えておけばいい。
大勢が相手なら真っ先に頭をつぶす、これが喧嘩必勝法。
小学三年の時に悟った事だった。
以後異常な人生を歩くこととなったが所詮は義務教育、せいぜい親を呼びに家に帰されることぐらいで済む。
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怪物たちの戦い

2015/02/18 01:12
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回を重ねるごとにスピード感を増す「銭の戦争」。
生き馬の目を抜くという言葉がある、まさにそんな世界を描いている。
一瞬の気の緩みが命取りになる、それが緊張感とスピードを生む。
比較するのもちょっと違うようではあるが昔からよくイラついた記憶。
それは鶴田浩二、高倉健に代表される東映映画の黄金時代の任侠路線。
主人公たちのあまりの弱さ(腕っ節のほうは異常に強いが)。
弱いのは頭、なぜなら近い未来命のやり取りのような戦いの時が来るのは容易に推測できる(実際ラストはいつもそうなっているのだから)。
ならそうなる前につぶしておけばいい、どうせ先で敵になるのだから。
その方がエネルギーも少なく済むし益も大きい。
状況判断、決断、実行、遅れるほど後悔が大きくなる。
話は変わるが今やネット界は井上直哉一色。
カラオケの練習にYu Tubuで曲を検索すると必ずボクシングのタイトルマッチが三つほど混じっている。
当り前であろう昔は知らないが最近の試合で日本人で世界チャンピオンを子供扱いして戦った試合など見たことがない、しかも二人の世界チャンオンを相手にである。
彼が唯一苦戦したのは田口良一と戦った日本タイトルマッチだけなのだから驚きである、その時になぜか漠然と相手の田口選手のほうに何と強い選手がいると興味がわいた。
彼はその次の試合で世界チャンピオンになった。
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仕組み

2015/02/11 00:20
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いつもの事だが同じ内容のニュース番組が何度も何度も流れていた。
教師が学生に見せた映像の子供に与える影響が悪いらしい。
どうも釈然としない、それでは家庭ではあれだけ毎日毎日流れていた同じ映像が子供の目に目に入っていなかったのだろうか?
それが悪いことなら最初に二、三億のお金を捨てていればそんな映像などこの世に存在していない。
そんな吐き気がするようなニュースばかり見せつけられるが、
あるドラマが気持ちをすっきりさせてくれる。
草なぎつよしの「銭の戦争」。
登場している人物がとにかくみな強い、だれが一番強いのか解らない(多分主人公が一番強いのであろうが)。
とにかく世の中は強くなくては生きてゆけない.
いかなる戦いにおいても人の引いた線路の上を走るのは不利、自分の引いた線路の上を相手に走らせる。
これが戦いにおける兵法、これが心理学の本質。
登場する善も悪もみな先が読めて強い。
そしてストリー展開の先が読めないのがスピード感がわいていい。
普通ドラマと言えば主人公が弱よわしく、女々しい。
それが展開にのろのろ感を生む。
私にとってドラマはスピードが命!!
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戦後の闇社会

2015/01/10 00:33
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闇に浮きあがる炎
退屈しのぎにレンタル店をぶらつく。
棚の隅にDVDディスク「白昼の死角」を見つけた。
まだ二十代前半青春真っ盛りの頃の映画だったので、あまりの懐かしさに喜んでかりてかえった。
物語は終戦直後、現役東大生山崎による金融会社「光クラブ」の代表者の服毒自殺という実話から始まっている。
彼の論理それは契約は完全尾行を強制されていると解釈すべきである。
契約は人間と人間との間を約束するもので死人という物体には適用されない。
したがって死んで物体に帰ることによって論理的統一を全うする、と言って自殺し、
そして莫大な借金とたくさんの手記を残し世を去った。
この物語はバブルの真っ盛り、三人の東大生による闇社会での暗躍が描かれている。
「木を隠すなら森」と言う言葉がある。
闇に生きる者にとって姿を見せず周囲に違和感なく溶け込める闇。
光は闇あって輝く。
「鬼の女房に鬼神」と言う、女性も極端を言えば二つのタイプがある。
炎にとって二つに象徴される(水)?(油)?
作中では水は妻、油は情婦として描かれている。
まさに主人公のシナリオにとって情婦は鬼神のごとく活躍しそして炎はより燃え盛る。
逆に水により燃え盛っていた炎もわずかな残り火のようになってしまう。
はたしてどちらの方が人生のパートナーにふさわしのだろうか?
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


人の心の闇と光

2014/11/16 23:45
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人の心の闇と光
先日あるテレビドラマの中で堀北真希が呟いていた。
悪意こそがその人の本音であり、その人の本当の姿
そこには依然白夜行劇場版で主人公を演じていた姿がゆらゆらイメージをだぶらしていた。
堀北真希と言えばそれまではクロサギなどのドラマに出演し、清純な印象を与えていた。
しかし白夜行ではまるでち違った奥の深さを印象ずけていた。
それまでの清純なイメージが百八十度変わったアンバランスなギャップが与えた深みかもしれない。
人生において関わる人の真の姿を見ることは難しいだろう。
私は人が本気とか真面目に話をしている事はほとんど聞いていない(極端な事を言えば)。
なぜなら考えて語ることに本意はないから聞いても意味がない、極端な事を言えば時間のの無駄と思う。
例えば原稿を前もって作りそれを丸暗記して演説しているようなものである。
しかし細心の注意をもって聞きそして必死で見ている事がある。
それは何か?
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人の世の無常

2014/10/31 00:26
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大阪で吹いていた無常の風も今は東京でも吹き荒れている。
栄華盛衰世の習い、驕れるものも久しからず、ただ春の夜の夢のごとしと言われている。
国破れて山河あり、城春にして草青みたり。
昔栄華を誇った城跡も今は草木が生い茂り新しい命の息吹を吹きだしている。
    夏草やつわものどもが夢の跡(芭蕉)
とかくこの世ははかなく定まるものなど何もない。
これが人の世の趣なのかもしれない。
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狂った二つの世界

2014/09/22 04:20
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今日さ迷う刃と言うレンタルビデをを視聴した、やはり東野作品である。
かなり以前のものだがまだ私は見ていなかった。
やはりラストは答えを出していなかった。
結論は読者に出せということだろう。
世にもまれな二つの狂法の一つを扱っていた。
問題になっている少年が弱く守らなければならないような者には私には思えない。
またもう一つの狂った法律、刑法第三十九条、これも弱者とはとても思えない。
私は法の下では平等でなければならないと思う。
一回包丁を使ってしまったらもう何か所も使ってしまった方が益がある。
なぜならあっという間に何人もの弁護士が手弁当でつき弁護団を結成してくれる。
そして精神鑑定である。
偉い心理学者の先生が小学生の頭では理解不能の病名を付けてくれる。
すべての基本、一たす一は二という論理。
いかなる高等論理をあてはめても三や五にはならない。
それとも低学年の小学生に悪いことをしても偉い論理をあてはめれば許されるのですよ。
そして悪いことをするのなら少年の間にしておきなさいよ、とでも教えるのだろうか????

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問いかけ?

2014/09/04 23:44
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先日宮部みゆきの推理小説「火車」をテレビ放映していた。
ひとりの刑事が幻のように見えない悪をこつこつと追いつめつてゆく。
生前悪行を働いた亡者を乗せて地獄へ運ぶという、真っ赤に燃えた火の車のように。
早速レンタル店に行ってクロスファイア―と模倣犯というディスクをかりた。
クロスファイア―は以前に見ていた。
模倣犯はずいぶん以前の物のようだった。
模倣犯、ラストの場面が妙に印象に残った。
作者の読者への問いかけは?
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昭和の五右衛門

2014/07/24 00:34
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種は芽を吹く。
戦国の世、辞世の句を残しひとりの男が世を去った。
やがてその句は時を流れ、昭和の世で芽を吹いた。
ある地方都市で置き引きをして逮捕された男。
その男は地下の留置場でみんなについ出来心が起きたと語った。
その場の一同は同情した。
しかし翌日、彼は語った。
刑事が他の者に言えないのなら自分にだけ言ってくれと、言うので余罪を十数件いってしまったので胸がすっきりした。
みんな茫然として聞いた。
そして翌日から連日始まる告白 。
今日は百件、今日は何百件。
もう皆茫然としながら黙って聞いている。
あっという間に五百数十件。
署員が呉から岩国の持ち家に証拠品の押収に出かけるのに四トン車のトラックで四往復したという。
呉署はあっという間に盗品の倉庫となってしまった。
盗んだものは売らずに皆家に持ち帰り入りきらないものは床下に隠していたという。
彼は語る、部屋を変えればその部屋のテレビを見てその部屋のクーラーを付けその部屋のステレヲで音楽を聴いていたという。
また漬物が食べたくなれば漬物を盗みに行っていたという。
彼は船乗りだからすぐ現地を離れるので今まで発覚しなかったらしい。
彼が面白く語りみんなの興味を引き付ける、警察が逃げたら撃つぞと言うので撃たれてはいけないと思いジグザグに走って逃げましたよ。
もう皆あきれてものが言えない。
それでも誰かが言った、あんたそれじゃ―プロの大泥棒じゃーないの。
その後彼がどうなったのかは誰も知らない。
時代の一出来事だった。
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昭和の闇御殿

2014/07/15 01:06
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昭和初期、ある日地方都市の地下留置場に降りてきた一人の男。
その男の名前は松村博(仮名)、気弱で人の良さそうに見えた。
彼が語るには置引きか万引きか知らないがつい出来心でおばあさんのお金を盗み逮捕されたということだった。
みんな身につまされ同情した。
みんなそんなことならすぐ出れるからと口々に慰めた。
しかしそれは初幕が上がり舞台の始まりにすぎなかった。
翌日の夕方、下りてきた彼はみんなに相談するように語った。
実はほかにもちょっと余罪があるのですが正直に言った方がいいですかね、それとも黙っていた方がいいですかね。
一同最初びっくりしたが、口々に言った。
どうしてもばれたものは仕方がないが自分からは黙っていた方がいい、これが共通の意見(?)だった。
ところがその翌日の夕方その男がまた語る。
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昭和犯罪史

2014/06/27 00:15
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昭和犯罪史
昭和四十年代、広島県呉市の警察署の地下にある留置所に夕方ひとりの男が下りてきた。
あっという間にみんなの興味がその男に集中する。
その男は妙に人なつっこそうでおととなしそうな言葉使いと態度でみんなの関心を集めた。
みんなが聞きだした内容をまとめると男はは山口県の岩国市に持ち家があり職業は船乗りだった。
性格はおとなしく人に対して妙に低姿勢、丁寧ですぐ人気者になった。
その男が言うにはスーパーのカウンターにおばあさんが財布を置いたのでつい出来心で盗んでしまったということだった。
そこでみんな口々に言った「出来心と言うのは恐ろしいもんだなあ」みんな共通の感情をあじわいその場の雰囲気が静かになった。
しかしそれは単なる始まりの一幕だった。
その男の名前は竹村博「仮名念のため」。
これは当時の新聞記事や当時の人々の間にく語り継がれた愉快な噂話である、一応念のため。
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盤上の戦い

2014/06/14 00:41
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ツタヤに寄った。
テレビドラマクロコーチがビデオディスクに成っていた。
喜んで借りて帰った。
以前テレビ視聴しているので物語の展開はわかってがいたがやはり引き込まれる。
目の離せないハイテンポな展開。
そして読み合いの心理戦。
両端の戦い、どちらが強いのか。
スリルと爽快感、両率で併せ持つ。
これぞ至極のエンターテイメント。
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何処に吹く、無常の風

2014/06/05 00:40
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祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ

栄華盛衰世の習いと言う、
どうやら大阪の空にも祇園精舎の鐘の音が鳴り響いているようだ。
この世の無常、過去の栄華も昔の世の夢、
結局は定まるものなどこの世には何も無い。
無常の風はどこに吹いてどこに消えるのか ? 
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連鎖―同じことは繰り返される

2014/05/29 00:25
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歴史 それは同じことが繰り返される。

何年か前、今の政権与党が政界から姿を消しなりを潜めた時期があった。
ちょうどそうなる前の圧倒的多数による与党の頃だったと思う。
世間はある出来事の話題で大騒ぎだった。
それは消えた年金問題、そして国民を守るはずであったおんぼろ(千四百億、六せきで八千四百億)イージス艦の漁船を避ける事の出来ず消えた二つの命、一時は防衛大臣の
辞任問題にもなっていた。
命を守るはずの救急車の搬送中に消える命。
手品の基本は左手に人々の関心を持たせ右手で真の動作を行う。
その時の世情を見ると国民は正に手品にあっているようだった。
国会を真っ二つに分けての道路財源問題、済めば後期高齢者医療問題。
しかし私はそんな事はどっちでもよいように思う。
私の様ないち庶民が考えなくても偉い先生が信念を持って考えて賛否両論である、
という事はどっちに決まってもメリット、デメリットがあるということだろう。
いっそジャンケンで決めればあっという間に決まってしまう。
結果、この問題はあっという間に道路財源問題によって国民の視界から消えた。
これぞまさしく国という巨大なマジシャンによる大消失マジック!

追伸―ちょうどその頃
出先で、ある与党最高責任者の国会演説の一部が(あくまでも一部である)耳に入った。
「予算は歳入、歳出の法則で成り立っている、ゆえに我が党の方針は物々交換である、
歳入のない歳出は考えられない」と、なるほど偉い人の言う事は一理あるとその時私は感心した。
しかしこれこそが暗示による集団催眠。
後になればなるほどなぜか頭がもやもやして来た、果たして本当にそうなのだろうか?
国は営利を追求する民間企業とは違うのではないのだろうか?
営利が追求出来ないから国が管理運営する国営なのではないのだろうか?
わかりやすく言えば防衛省とか外務省あたりを民営化すればどうなるか?
ひと月を待たず赤字倒産であろう、なにしろ歳入、歳出の法則からすれば歳入がないのであるから。
国民は防衛税とか外交税など払っていない。
いいかげん赤字とか黒字とかという言い方はやめてほしいと私は思う。
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法の選択

2014/05/22 00:10
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 原発の稼働は法的には電気を生み出す(一手段である)経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分より劣位に置かれるべきだ。
耳に流れたニュース、今まで国の方針と言えば人命よりはお金と言うようなニュースばかり。
正直決まった判決ニュースにびっくり驚き。
しかしあの何年か前の地震による原発事故以来ダム工事、水力発電の関連ニュースがまるで無いのはなぜ?
不思議に思っている国民は居ないのだろうか。
勿論電力会社はすぐ控訴したらしいが。
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怪物

2014/04/30 23:56
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先日世界タイトルマッチがテレビ放映された。
井上直哉の世界王座への挑戦だった。
迷わず録画をしていたがびっくり、驚きの一戦だった。
まるでこの一戦のため今までの五戦は余力で戦っていたのかと疑うような戦い方だった。
以前からその能力は怪物と評価され具志堅等は小学生のころから試合場え足を運びスカウトの交渉を父親と交渉していたという。
しかしそれにしても相手は世界チャンピオン。
それがまるでレベルの違いを見せるかのような試合内容だった。
比べるのも意味のないようだがテレビ放送がたびたび比較するのが井岡カズト。
井岡選手の基本に忠実な無駄のない動きに対して自由奔放なまるで才能で戦うような戦い方で対称的な二人。最短世界王者日本新記録らしいがそんなことはどうでもいいくらい驚きの戦い方だった。
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2014/04/12 00:23
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先日ある記者会見の報道が一日中流れていた。
ある女性科学者の発表論文に関してだった。
涙顔の女性科学者に対して新聞記者たちの同じような質問が繰り返し繰り返しされていた。
その都度同じような謝罪が涙顔で繰り返されていた。
私の目や耳にはその表面には内部の毒素や悪意といったような物がにじみ出ているようには見えなかった。
むしろ質問している新聞記者たちの声に人間本来の毒素が外にぶすぶすにじみ出ているようで聞きずらかった。
勿論いつものことだが記者の人達にも言い分があるだろう。
いつもの決まり文句である、正義の旗印の下での国民の知る権利の代行である。
ただ一部の人たちには待ち望んでいることだろうと思う、それが医学の進歩だろうとも思う、しかし大多数の人たちにとってはチンプンカンの世界である。
唯よってたかっての袋叩きのような弱い者いじめが面白いだけであろう。
視聴率は稼げる、マスコミ界はこれがすべてであろう。
それが場慣れた政治家などとは違うただの素人、よってたかっての袋叩きには慣れていない、ことの真意は別としてさぞつらかったと思う。
本来もしそれが悪いことならそれは警察の問題で一般報道界の問題ではない、なぜ医学界の中で処理しておけなかったのだろうか。
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